自由になるための技術 リベラルアーツ
- 聖 難波
- 2 日前
- 読了時間: 4分
著書 山口周
P19
「正しさ」はもう「強さ」にはならない。
P20
複雑で不安定な現代社会では「分析」「論理」「理性」といった、これまで絶対視されてきたサイエンス重視の意思決定や方法論が限界にきていることを述べ、このような時代には、経営の判断にも、自らの「真」「善」「美」の感覚、すなわち「美意識」を鍛え、より拠り所としていくことこそが、重要だと訴えました。
P24
いま、なぜリベラルアーツが重要か-、野田さんの答えは
「人間を理解するための知恵を与えてくれるから」というのものでした。
不確かな現代を生きていく上では人間というものを深く理解することこそが、「最重要のスキル」だということで、たいへん腑に落ちるものだと思いました。
P39
チェ・ゲバラが障害を通じて読んでいたのが、現代の法学者や憲法学者が書いた本では
なく、ギリシャ時代に書かれた古典だったことも示唆的です。
長い淘汰に耐えてきた知、あえて自分からは遠く離れた古典を読んで現代を相対化する視点は、未来が見えない現代だからこそ、これからの社会像を模索するためにも、さまざな意味で”役立つ武器”となるでしょう。
P40
解析的に解けない問題に対しては、自分に蓄積された知の中から判断するほかありません。その縁になるのが「人間というものは本質を鑑みれば、こうなるはずだ」という深い意味でのコモンセンスなのです。
もう一つ現代のリーダーにとって重要な役割が、「質的な意味を与える」ということです。
そのためには自分の中に広い世界観を持つことが重要で、そういった意味でもリベラルアーツは有効です。自分のコナトゥスを発揮させることと同様、仕事に確かな意味を感じて働く個人や組織は大きな競争力を持つのです。
P58
「日本人が持つ、連続性への無意識の強い自信」
ちょんまげを切って洋服を着たぐらいで、廃仏毀釈をしたぐらいで、憲法が変わったぐらいで、自分たちが根本的に変わるこはない。そのような無意識の強い自信が日本人にはあるのではないでしょうか。そこは他のアジア諸国とは大きく異なる点です。このような日本人の連続性に対する強い、しかし無意識の自信と、イギリスの古いものを維持しようとする強い、意識的な執念というのは、必ずしも相反するものでなく、表裏一体を成すようにも見えます。
P60
イギリスも日本も、趣はかなり違いますが、古いものを残そうとして無原則に積み上げていくという点は一致しているかもしれません。古いものと新しいものが矛盾しても、比較してどちらを選ぶという対決のプロセスを回避してしまうのです。日本の神仏習合も感じ伝来も、また明治の近代化もそうです。いろんなものが重層的に積み上がっていても矛盾を感じないわけです。
P63
リベラルアーツが未成熟な中で経済力だけが突出して、柄にもなく世界の覇権を窺うほどに強大化した昭和末期の日本というのは、やはり社会としていびつであり、それがバブル期の国としてのつまずきの最大の要因だったように思います。
このことは太平洋戦争の教訓とも重なります。軍事力だけに偏らず、人文・社会科学の知識や、議会制民主主義をうまく運営できるような柔軟な社会、政治文化といった総合力をつけておくべきでした。
P73
そして読み方として大切なのは、物知りになろうと思わないことです。何か得るものが欲しいと思うなら、「このことを人間一般に還元したらどういう意味を持つのか」というふうに、普遍性や通時代性を見出すような読み方をするのが良いと思います。
P165
経済学者の小泉信三に「すぐに役立つものは、すぐに役に立たなくなる」という有名な言葉があります。
P188
人事研修で、「リーダーの条件は何ですか」と聞かれたとき、僕はこう言ってます。
「主観的に価値判断して、それに対する責任がとれるかどうか」だと。
P191
つまり権力は、業績と関係します。業績があるとパワーがついてくるので強制的にみんなに言うことを聞かせられるのですが、やはりそれだけではダメなんです。やっぱりオーソリティ、つまり向こうから自発的に従ってくれるという権威が補完されないとうまくいかないのです。パワーだけだといつか仕返しがくるかもしれません。
P258
本来、公民として政治に参加するには責任を伴うわけです。そのためには教養や思考力がなければならない。でも、近代以降は公民としての権利だけを持ち続けて思考しない大衆とともに、私的な利害と妥協によって政治が動くようになっていった。
P263 「創造性は人生における累積の移動距離に相関する」



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