新建築2025年7月
- 聖 難波
- 8月8日
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更新日:9 分前
「空間の建築から環境の建築へ」
高橋一平氏
建築がそれを発注する当事者が寄せる短絡的な要求に応えなければならないという、ウィトルウィルスやパラーディオの時代より指摘された束縛が、丸ごと設計条件に差し変わっている。
ウィトルウィウス(古代ローマ)は、建築家は単なる「作業者」ではなく、学識と判断力を持つ専門職であるべきだと強調した。
パラーディオ(ルネサンス)のルネサンス期は建築が「美」と「権力誇示」の象徴であり、施主はしばしば構造的合理性や都市景観よりも、自己顕示的要素を優先されており、
パラーディオは古典様式を政治的・社会的に“読める”形に翻案していた。
建築史は“束縛との闘いの歴史つまり「建築の長期的価値」 vs. 「発注者の短期的要求」である。
膨大な付箋紙と議事録を前に、設計者は寄り添いつつも完全な合意を得ることは不可能。
他方、仮にそこへ綴られる多声的的な「個」の意思をあまねく網羅し、建築による普遍化が可能であったとしても、それは人間の理性を外部空間へ向け一辺倒に企てた姿に過ぎず、地球規模で眺めると儚い。
まず設計者は、建築の当事者にとって大抵の場合に他者である。そして他者が可能な本質的な行為として提案がある。建築における提案は建築物に意思を宿らせ、「個」の声とは別の位相で存在させることができる。



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